大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成10年(オ)583号 判決

上告人

永井徹

右訴訟代理人弁護士

高崎尚志

赤松範夫

被上告人

八木恒子

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

長谷川郁也

右訴訟復代理人弁護士

大西幸男

坂入髙雄

桃谷一秀

岸郁子

葭原敬

篠島正幸

主文

原判決中、上告人の敗訴部分のうち、介護費用及び弁護士費用の請求に関する部分を破棄する。

前項の部分につき、本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

上告人のその余の上告を棄却する。

前項に関する上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人高崎尚志、同赤松範夫の上告理由について

一  亡八木孝之(以下「亡孝之」という。)は、上告人運転の普通乗用自動車に衝突されて傷害を負い、その後遺障害のため他人の介護を要する状態にあったが、本件訴訟の係属中に胃がんにより死亡した。亡孝之の相続人である被上告人らは、主位的に、損害額の算定に当たり亡孝之が胃がんにより死亡した事実を考慮すべきではないとして、亡孝之の傷害による損害の賠償を求め、その死亡後の逸失利益及び介護費用を右交通事故による損害として主張している。また、被上告人らは、予備的に、亡孝之の死亡と右交通事故との間に因果関係があるとして、その死亡による損害の賠償を求めている。

原審の確定したところによれば、(一) 平成三年九月一八日午後七時ころ、兵庫県揖保郡新宮町内の信号機の設置されている交差点において、上告人運転の普通乗用自動車が右交差点を自転車を引いて横断歩行中の亡孝之に衝突し、亡孝之は、脳挫傷、外傷性くも膜下出血等の傷害を負った(以下「本件事故」という。)、(二) 亡孝之の症状は、平成六年八月三一日、自動車損害賠償保障法施行令別表(後遺障害等級表)一級三号に該当する後遺障害を残して固定した、(三) 亡孝之は、その後も、脳挫傷による知能障害、四肢痙性麻痺等により、いわゆる寝たきりで、食事、用便等日常生活のすべての面で他人の介護を要する状態にあった、(四) 亡孝之は、本件訴訟が原審に係属中である平成八年七月八日、胃がんにより死亡し、妻である被上告人八木恒子並びに子である同八木一之及び同中塚史子が相続により亡孝之の損害賠償請求権を取得した、(五) 亡孝之は、昭和六三年一二月に肝臓の手術を受けたものの、ふだんの生活には支障がなく、本件事故前には、普通に生活をしていて、体の不調を訴えることもなかった、というのである。

二  原審は、右事実関係の下において、大要、次のように判示して、亡孝之の死亡後の逸失利益及び介護費用を本件事故による損害と認め、被上告人らの主位的請求の一部を認容した。

1  亡孝之については、本件事故の時点で、その死亡の原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死亡が客観的に予測されていたとはいえないから、右死亡の事実を就労可能期間の認定上考慮すべきではない。亡孝之が得たであろう年間収入を二八七万四一三〇円とし、労働能力喪失期間を症状固定時から六年間として算定すると、その逸失利益は一三〇六万九二四三円となる。

2  交通事故により傷害を負ったことに基づいて被害者に生じた損害の賠償請求権は一個であり、加害者が負うべき損害賠償債務は、交通事故時に発生し、かつ、遅滞に陥るものである。また、判決に基づいて金員が支払われた後に被害者が死亡した場合には、加害者が既払金につき不当利得として返還を求めることはできないと解すべきであるから、事実審の口頭弁論終結時までに被害者が死亡したことにより現実に被害者側が負担を免れた損害について、交通事故時において既に発生した損害額から控除するとすれば、右口頭弁論終結後に被害者が死亡した場合に比して、被害者側にとって衡平を失することになる。亡孝之は、平均余命までの間、職業付添人の介護を必要とするところ、入院費を含む介護費用を一日当たり一万七二六〇円とし、介護を要する期間を症状固定時から一二年間として算定すると、亡孝之の介護に要する費用は五一九七万二九一五円となる。

三  しかしながら、原審の判断のうち、亡孝之の死亡後の逸失利益を損害と認めた部分は是認することができるが、その死亡後の介護費用を損害と認めた部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  交通事故の被害者が事故に起因する傷害のために身体的機能の一部を喪失し、労働能力の一部を喪失した場合において、逸失利益の算定に当たっては、その後に被害者が別の原因により死亡したとしても、右交通事故の時点で、その死亡の原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死亡が客観的に予測されていたなどの特段の事情がない限り、右死亡の事実は就労可能期間の認定上考慮すべきものではないと解するのが相当である(最高裁平成五年(オ)第五二七号同八年四月二五日第一小法廷判決・民集五〇巻五号一二二一頁、最高裁平成五年(オ)第一九五八号同八年五月三一日第二小法廷判決・民集五〇巻六号一三二三頁参照)。これを本件について見ると、前記一の事実によれば、亡孝之が本件事故に遭ってから胃がんにより死亡するまで約四年一〇箇月が経過しているところ、本件事故前、亡孝之は普通に生活をしていて、胃がんの兆候はうかがわれなかったのであるから、本件において、右の特段の事情があるということはできず、亡孝之の就労可能期間の認定上、その死亡の事実を考慮すべきではない。

2  しかし、介護費用の賠償については、逸失利益の賠償とはおのずから別個の考慮を必要とする。すなわち、(一) 介護費用の賠償は、被害者において現実に支出すべき費用を補てんするものであり、判決において将来の介護費用の支払を命ずるのは、引き続き被害者の介護を必要とする蓋然性が認められるからにほかならない。ところが、被害者が死亡すれば、その時点以降の介護は不要となるのであるから、もはや介護費用の賠償を命ずべき理由はなく、その費用をなお加害者に負担させることは、被害者ないしその遺族に根拠のない利得を与える結果となり、かえって衡平の理念に反することになる。(二) 交通事故による損害賠償請求訴訟において一時金賠償方式を採る場合には、損害は交通事故の時に一定の内容のものとして発生したと観念され、交通事故後に生じた事由によって損害の内容に消長を来さないものとされるのであるが、右のように衡平性の裏付けが欠ける場合にまで、このような法的な擬制を及ぼすことは相当ではない。(三) 被害者死亡後の介護費用が損害に当たらないとすると、被害者が事実審の口頭弁論終結前に死亡した場合とその後に死亡した場合とで賠償すべき損害額が異なることがあり得るが、このことは被害者死亡後の介護費用を損害として認める理由になるものではない。以上によれば、交通事故の被害者が事故後に別の原因により死亡した場合には、死亡後に要したであろう介護費用を右交通事故による損害として請求することはできないと解するのが相当である。

そして、前記一の事実によれば、亡孝之は原審口頭弁論終結前である平成八年七月八日に胃がんにより死亡し、死亡後は同人の介護は不要となったものであるから、被上告人らは、死亡後の介護費用を本件事故による損害として請求することはできない。

四  したがって、これと異なる判断の下に、亡孝之の介護費用につき、同人の死亡の事実を考慮することなくその額を算定した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決中上告人の敗訴部分のうち、介護費用及びこれを前提とする弁護士費用の請求に関する部分は破棄を免れない。そして、右の部分については更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すこととし、原判決中その余の部分は正当であるから、上告人のその余の上告を棄却することとする。

よって、裁判官井嶋一友の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官井嶋一友の補足意見は、次のとおりである。

私は、被害者死亡後の介護費用を損害として認めることができないとする法廷意見に賛成するものであるが、原判決の述べる口頭弁論終結後に被害者が死亡した場合との均衡の問題について若干補足しておくこととしたい。

事実審の口頭弁論終結後に至って被害者が死亡した場合には、確定判決により給付を命じられた将来の介護費用の支払義務は当然に消滅するものではない。この場合には、確定判決に対する請求異議の訴えにより将来の給付義務を免れ、又は不当利得返還の訴えにより既払金の返還を求めることができるか否かが問題となる。私は、少なくとも、長期にわたる生存を前提として相当額の介護費用の支払が命じられたのに、被害者が判決確定後間もなく死亡した場合のように、判決の基礎となった事情に変化があり、確定判決の効力を維持することが著しく衡平の理念に反するような事態が生じた場合には、請求異議の訴えにより確定判決に基づく執行力の排除を求めることができ、さらには、不当利得返還の訴えにより既に支払済みの金員の返還を求めることができるものとするのが妥当ではないかと考えるが、もとより、この点は、本判決の解決するところではなく、別途検討されるべき問題である。いずれにしても、口頭弁論終結前に被害者が死亡した場合に、口頭弁論終結後に被害者が死亡した場合との対比において均衡を欠く結果が生ずることがあり得るとしても、このことのゆえに被害者死亡後の介護費用を損害として認めるというのは転倒した議論といわなければならない。口頭弁論終結前の被害者の死亡により爾後の介護の必要がなくなった以上は、口頭弁論終結後の被害者死亡の場合における請求異議の訴え等の許否についてどのような結論を採るにせよ、死亡後に要したであろう介護費用を損害として認める余地はないものと考えられる。

(裁判長裁判官井嶋一友 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄 裁判官大出峻郎)

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